インタビュー

「人生はきっと短い。だから、挑戦も学ぶこともためらわない」──レバレジーズ株式会社 エンジニア キャリアインタビュー[仙石 祐]

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レバレジーズ屈指のイケメン・エンジニア 仙石 祐(せんごく ゆう)さん。
色落ちしたジーンズを上品に着こなし、スマートフォンを手に颯爽とオフィスを歩く姿を、目で追いかける女性社員は多いことでしょう。

しかし、彼が集めているのは異性からのまなざしだけではありません。
社内で、特別に高いパフォーマンスを発揮した社員のみが手にするVP(Valuable Person)を受賞したり、業務外でも積極的に勉強会で登壇したりするなど、同僚からも一目置かれる存在です。

今回は、そんな仙石さんにインタビュー。
奈良県で生まれ育ち、塾講師をしていたという彼が、どのような経緯を経てエンジニアになったのか。
なぜレバレジーズでさまざまなメディアの開発に携わるようになったのか。
甘いマスクの裏には、学ぶこと、働くことへの尽きることのない情熱が隠されていました。

入退院を繰り返した大学生活。会計士の夢をあきらめ、宗教哲学に魅了されて

─仙石さんは、もともとエンジニア志望ではなかったんですよね。

仙石:大学では商学部に通っていました。でも、もともと体が弱くて、在学中に何度か長期で入院をしてしまい、ゼミにもサークルにも入ることができませんでした。それでも卒業はできましたが、振り返ってみると決して華やかで楽しい学生生活ではなかったですね。

─商学部に通っていたということは、公認会計士や税理士を目指していた時期もあったのでしょうか。

仙石:公認会計士になりたくて、在学中、専門学校に通っていたこともありました。ただ、ちょうど国際会計基準(IFRS)の導入がとん挫して、会計士試験の合格者を大幅に絞った時期に当たってしまったこともあり、試験をパスできませんでした。

その道を諦めた後は、ひたすら宗教哲学の本を読みふけっていましたね。きっかけは、かつて「外務省のラスプーチン」と言われた、元外務官僚で作家の佐藤 優さんの著書でした。それがとても面白かったんです。宗教の存在意義について、また宗教と民族のつながりについて、丁寧に書かれていました。

佐藤 優さんは、僕と同じ大学の神学部を卒業され、在学中には僕と同じようにロシア語のクラスを受けていたと聞きました。だから、ある種のシンパシーのようなものを感じていたのかも知れません。そこから、海外の宗教哲学者が書いた本にも、興味の対象が広がっていきました。

─そのなかで、最も印象に残っている本といえば、何ですか。

仙石:ラインホルト・ニーバーというアメリカの神学者が記した『光の子と闇の子―キリスト教人間観によるデモクラシー及びマルキシズムの批判』です。神学の見地から、民主主義とマルクス主義の弱点や問題について分析している内容で、感銘を受けましたね。

その後は、やはり身近だからでしょうか。仏教のほうに関心が移っていきました。なかでも古代インド仏教の教典「アビダルマ」の哲学には探究心を煽られました。僕たちは通常、時間は過去から未来へと流れるものだと認識していますよね。でも「アビダルマ哲学」では、未来から過去に時間が流れていると解釈されているんです。

思想のベースには縁起説があり、すべての結果が縁によって起きるという考え方は、慣れ親しんだ「原因があって結果がある」という西洋的なとは、正反対のものです。だからとても新鮮でした。

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もっと勉強したいと、塾講師の道へ。小中学生に教える日々で気づいたこと

─大学を卒業後は、学習塾の講師をされていたんですよね。なぜ、その職種を選ばれたのですか。

仙石:お伝えした通り、大学では商学部に通っていたので、証券会社などを中心に就職活動をしていました。でもリーマンショックの後で、なかなか状況が厳しくて。そのうち、面接を受けているときなんかに、「自分は本当に金融の業界で働きたいんだろうか?」と疑問に感じるようになり、その思いはどんどん膨らんでいきました。それで就職活動をするのを辞めて、カラオケ店や飲食店で働いた後、アルバイトで学習塾の講師を務めるようになりました。

なぜ塾なのか?答えは、仕事と興味がある分野を一致させたいからです。当時、もっと教養を深めたくて、塾で教える仕事なら、授業の準備や指導のためにたくさん学習できるだろうと考えました。

─塾では何人くらいの生徒に教えていたんですか。

仙石:一週間で、小学生から高校生までの生徒50人ほどに、全教科を教えていました。職場には50~60代のベテランの先生方が多くて、厳しくもよく生徒のことを考えて指導されていることが分かりました。そうした先輩方による授業の様子を見たり、自分でも色々と調べたりしながら、理想とする教え方を模索していました。

僕が教えていた年齢の子ども達のなかには、ただ勉強をしていないから成績が悪い子どもが多かったんですよ。そんな子どもたちに宿題を与えたりして、ある程度勉強をするための仕組みを作ってやると、どんどん成績が上がっていくんですね。やっぱりそれは、塾講師として働く大きな醍醐味だったと思います。

塾講師の仕事では、授業で使う教材を自分で作成したり、休日出勤もあったのですが、ほとんど苦しいとか、しんどいなどと感じることはありませんでした。

─結構ハードですよね。普通、休日出勤までするとつらいと感じることもあると思うのですが…。

仙石:それは多分、興味と仕事の内容とが一致していない人の発想ですよね。あくまで個人的な意見ですが、もし両者がマッチしていれば、そもそもワークライフバランスのような発想は出てこないはずです。塾講師の仕事は楽しかったし、やりがいを感じる内容でした。

でもその一方で、もう少し創造的な要素が強いことに挑戦したいという気持ちが強くなっていきました。生徒たちが、日々学んでいく手助けをすることによって得られるものは多くありましたが、物足りなさを覚えていたのも事実です。

─向学心は満たされなかったですか。

仙石:満たされなかったですね。塾で教えていた内容は、僕が学生時代に生徒としてすでに習っていたものだったからです。足りないのは、新しい知識や情報を吸収して、アウトプットすることでした。それをしないと、学習意欲が収まることはないんだと分かったんです。それで、塾の講師を辞めました。

なぜか気になったRubyの教則本。独学でプログラミングを開始

仙石:数日後、本屋に行き、語学の勉強でもしようと参考書を探していたら、ふと平積みされていたプログラミングの本が目に留まり、手に取りました。表紙に『たのしいRuby』と書かれたその本は、日本Rubyの会で代表を務める高橋征義さんによって書かれ、Rubyの生みの親、まつもとゆきひろさんも監修に携わっていたものでした。

─なぜRubyの本だったんでしょうか。

仙石:Rubyだったからではなく、プログラミングについて書かれていたということが理由だと思います。お話しした通り、僕は大学時代に情報系の学部などに通っていたわけではなかったので、Rubyと言われても、何も分からない状態でした。でも、チラッと立ち読みをしたら、プログラミングについて書かれている本だということだけは分かって、やけに印象に残ったことを覚えています。
当時たまたま、「Web2.0」の概念が話題を集めていたころで、梅田望夫さんが書いた『ウェブ進化論』やライブドアの前身、オン・ザ・エッヂでCTOを務めた小飼 弾さんのブログなんかを読んでいたんですよ。そのなかでよくプログラミングについて書かれていて、時々スクリプトが出てきました。でも当然、僕は内容を理解できなくて、すべて読み飛ばしていました。でも、徐々にその内容が気になりだしたんですよね。それがフックになったのかも知れません。

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─そこから、プログラミングを始められたんですよね。どうやって勉強をされたんでしょうか。

仙石:結局、その本屋ではフランス語の参考書を買って店を出たのですが、頭からプログラミングのことが離れなくなってしまって。とりあえず独学でプログラミングの勉強を始めようと思いました。早速、インターネットでプログラミングに関する本を検索したら、RubyにPython、JavaScriptなど、プログラミングの言語にもたくさんの種類があるということを知りました。

そのなかで“どれを学ぼうかな?” “PHPっていうのは、聞いたことがあるな…”などと考えながら調べてみると、enchant.jsを見つけました。enchant.jsとは、ご存知の通りHTML5 とJavaScript をベースにしたフレームワークのこと。比較的簡単にゲームやアプリケーションを開発できるということを知り、自分で勉強をしながらどこかでそれを活かして働くことできないかと思い、就職活動を始めました。

すると、塾の講師を辞めて2ヶ月ほど経ったころに、未経験でもOKの大阪にある小さなシステム会社へ入社が決まりました。