CTOの職務経歴書

【CTOの職務経歴書】1単位が足りなくて卒業出来なかったおかげでCTOになっている|nanapi CTO 和田修一氏

  • この記事をシェアする
  • 2
  • 16
  • 39
5aae14cc3835ed20758a4f1a6dbb62d11

「CTOの職務経歴書」はレバレジーズのアナリスト兼営業が、インタビュー取材を通して注目企業CTOの視野に迫る連続企画です。

 

山田さんこんにちは。

第3回目の「CTOの職務経歴書」も日本で最もCTOと対談する男を目指す
わたくし山田がインタビュアーとしてお届けします。

今回は・・・

 

株式会社nanapiのCTO 和田修一氏!!

nanapiとは

nanapiは、「世界中の人々のできることをふやしていきたい」という思いのもと、それを実現するためのメディアやコミュニティを運営している。
月間2000万人の利用者がいる日本最大級のハウツー情報提供サービス「nanapi」では、「野菜の切り方」「トイレ掃除の仕方」などの生活の基本的なものから、「ネクタイを自宅で洗う方法」など知っていると便利なやり方、「不動産の遺産分配のやり方」などプロの意見が必要とされる情報を掲載。
他にも、コミュニティアプリ「アンサー」は、スマートフォンで簡単に悩みや関心ごとについてコミュニケーションを図ることができるアプリ。また、海外向けに「気付きを与える」をコンセプトとした 日本文化を世界に発信するカルチャーマガジン「IGNITION」を運営している。

 

ブログ『UNIX的なアレ』や技術に関する講演、さらにはアスリート、ギタリストとして有名な多様な顔を持つCTOの意外な素顔に迫りました。

 

ギタリスト志望だったのに、何故か楽天に就職!?

音楽にどっぷりの学生生活でした。授業にも出ずにね

–学生時代は、どんな学生でしたか?

たまにメディアでも言ってますが、僕学生時代ずっと音楽しかやっていませんでした。

高校の時にギターを始めて、大学時代もずっとやってて。
バイトもしていたのですが、そのお金全部音楽につぎ込んでましたね。
ほんと音楽にどっぷりの学生生活でした。

–大学時代から「経営者を目指してベンチャー企業でインターンしよう」とは思わなかったですか?

全く。1mmもなかったですね。

音楽のプロでやっていこうと思っていたので。大学時代、プロとまではいかなくてもレコーディングの手伝いとか、ギターを教えたりしていて。授業にも出ず、音楽ばっかりやってました(笑)

だから別次元だと思っていました。起業とかしている学生って。「あぁ、そういう人いるよね」みたいな感覚でしたね。まさか自分がなるとは夢にも思っていませんでした。

–大学時代、音楽に捧げたということですが、結局就活されていますよね。どうしてでしょうか?

ほんとは就活するつもりはありませんでした。

でも音楽の世界で生きることに息苦しさを感じてしまうときがあったんです。ギターをやっていくうちに業界の人とも関わるようになったんですけど、音楽の世界ってすごく閉じているように感じたんですよね。プロとしてプレイをしている人がすごく少なくて、独特な雰囲気なんです。

それをきっかけに、「ちゃんと就職して普通に世界を見てみたいな」と思い就職することにしました。就活を始めたんですが、その時はまだ音楽を引きずっていて、内定先が楽器関連の会社だったんです。

DSC_6851

(学生時代、ギターにはまっていたときの思い出を楽しそうに語ってくれました)

就職先が決まっていたのに、まさかの卒業出来ず

–楽器関連の会社からどうして楽天に就職することになったのですか?

就活が終わった後は、「その楽器関連会社に入るんだろうな」って思ってたんです。

ただ、卒業式の2週間前に卒業出来ないことがわかって。3月中旬にですよ?僕のときは、大学の掲示板みたいなところに卒業予定者の学生番号が貼りだされるんです。当然、卒業できると思ってたんですけど、自分の番号を探してもどうみてもなくて。

–どうして卒業出来なかったんでしょうか?

1単位だけ足りなかったんですよね。

あとでよく調べたら履修のときにミスをしていたみたいで。4年生の時点で、必要な単位数を履修登録していなかったんです。結果的に1年残ってしまったんですが、1単位でしかも一般教養1単位というよくわからないミスだったので、すぐに取り終わっちゃって。

— 一般教養1単位で卒業できないって、悔しいですね。

ただずっと音楽に費やした4年間というものに後悔もしていたので、残りの大学1年間、就活も含めてもう一回見直したいたいな、と思うようになっていたんです。それでまた就活を始めて、始めた時点で音楽に限らず、ITにも限らず、幅広く受けていました。金融とかも受けてましたね。

基本就活にずっと取り組んで1年を過ごして、就職する会社を決めていたんです。9月くらいの秋採用の時に「最後までいろいろ見てみようかな」という想いの時に受けたのが楽天だったんですよ、偶然。

–すでに決まっていたところと楽天で最終的には悩まれましたか?

最後は悩みませんでしたね。

楽天を受け始めた時点では、「インターネットをやっていると目に入ってくるし、今どきっぽいな」、という軽いノリで受けたんです。ただ私が受けた楽天の最終面接の前日に楽天が野球に参入するという発表があって。ものすごい注目されていて、イケている感がでていたので内定もらった瞬間に決めました。当時はオフィスも六本木ヒルズだったので、ミーハー心もあったんですよ。

もうエイヤって感じで、決めちゃいました。

プログラム初心者がエンジニアとして活躍するまでの4年間

エンジニアなんて『裏方じゃないか』って腐っていた時代はありましたね

–楽天に入社するまで、エンジニア経験はありましたか?

ゼロですね。

もともとは仮配属で開発系になって、2ヶ月の研修をやったんですよ。その後インフラのエンジニアに決まりました。

–インフラエンジニアに決まった時はいかがでした?

当時の僕はインフラエンジニアって嫌だったんですよ。だって裏方感あるじゃないですか。(笑)

2005年新卒なんですが、当時はエンジニアのことをまだ格好いいっていう感じではなかったんですね。やっぱりサービスをプロデュースしたりディレクションしている方が格好いいって思って「企画とか格好良いことやりたい」って、結構腐っていた時代もあったりします。

–この後当分インフラでエンジニアとして働くと思うのですが、面白くなってきたな、と思うきっかけとかってありますか?

インフラって特殊な仕事なんですよ。

触っている人が新卒でも、インフラの部署にいる時点でサーバーのroot権限をもっているんです。ということは、どんな熟練のアプリの人でも、僕が作業しないと次のことが出来ないんですよ。だから自然とベテランの先輩に頼られるようになったんです。

それに加えて障害対応です。

深夜に障害が起きて、誰かが対応しなくてはいけなくて。新卒だった頃、毎日遅かったので、夜の会社に自分しかいない、ということがよくあったんですよ。だから、よくわからないけど解決しなくてはいけない、ということが多くて、結構みんなに頼られて、なんとか直す、ということを繰り返してたんです。

すると、自分が結構重要なものを触ってるんだな、面白いことやってるんだな、と気付きはじめたんです。頼られてるってところから仕事をしている実感があったんだと思います。

–この時評価された仕事ってありますか?

楽天の一番コアになる、1台1億とか2億とかするようなストレージがあるんです。そのストレージを管理するリーダーを新卒2年目くらいで任されて、ほぼ1人で回していた、ということが多分評価されました。

社内での評価や実績もありましたが、この時期は、自分でもよく働いたと思います。

1年目って仕事出来ないから時間で稼ぐしかないじゃないですか。

自分でもわかっていたので、先輩の半分しかアウトプット出来ないのであれば、倍の時間働けばいいと思っていました。だから、アウトプットの量を増やそうと意識していました。
実際1年目とか2年目とかって、月曜の朝会社に行くときに服を2,3着持っていってましたね。いつでも泊まれるように。それだけ働いたからこそ身についた力っていうのがあるのかもしれないですね。量をこなしていって、ようやく質がついてくるんですよ。

それに僕は元来、身体がすごい丈夫なんです。稼働時間越えると、もちろん周りは心配してくれるので、面談が入ることもあったんですけど、それでも、すっごい元気(笑)

「楽天の和田」ではなく、「和田修一」として活躍出来始めたな、という時期

DSC_6770

(仕事に熱中していた新入社員時代の話で場が盛り上がりました。)

楽天には丸4年所属していたのですが、インフラ専属が2年で、残りの2年間は台湾の国際事業の立ち上げを行ないました。インフラのエンジニアとして関わったのですが、アプリケーションを書くのも、ここで経験したんです。

この2年間は、新しいことを自分で作っていかなくてはならないことが大変で。「どういう風に設計するのか」、とか「どうすればもっと良いものを作れるのか」っていう議論をしながら実際作っていきました。

予算の確保も日本と台湾のネットワーク事情とかもいろいろ含めて全部考えました。納期も短かったので、一番成長出来た2年間だったと思います。

–最初の2年と変わったな、と思うところはどこですか?

それまでの2年間は、楽天がやってきたことに取り組んだ2年間で、社内で評価されることに特化した能力を身につけました。

後半になってから自分で考え、社外の情報をより深くみるようになりました。世間を意識して、より視野が広くなった、ということが一番大きかったです。さらに、技術者として取り組んでいる技術にも興味が湧くようになりました。

–なるほど。

今、私が書いているブログ「UNIX的なアレ」を書き始めたのもこの時期なんです。ブログを書いたら、いろんなリアクションとかレスポンスがきたんですよね。

勉強会とかで「ブログ読みました」って言ってくれる人や発信したことに「間違ってる」って言ってくれる人が出てきて、ネット上の関係が面白くなってきたんです。

この情報発信というブログをきっかけに勉強会とかパネルディスカッションに呼ばれたり、技術評論社で連載を持つようになったんです。個人名でアウトプットができるようになり、「楽天の和田」じゃなくて、「和田修一」として活躍できはじめたかな、と感じた時期でしたね。